世界を牛耳る大宗教に、ちょっと意見を述べたいと思います。異教徒の戯言として流してもらえば幸いであります。こんなことでバズりたくはないですしね。
正直言って、全部一神教で、同じ神を信仰していて、細部が異なるだけです。日本的な感覚から言うと、あほちゃうか?といった感覚です。寛容性があまりないのです。
ユダヤ教はユダヤ人しか救済しません。キリスト教はキリスト教徒しか救済しません。 それで、新興のイスラム教がなんで、世界を席巻しなかったのか?と思っていました。中世ではイスラムの経済圏がアジアを牛耳っていましたし、いくら、産業革命があったとはいえ、欧米列強に飲み込まれるのが理解できませんでした。清とか19世紀まで生き延びたもんね。 色々調べた結果、コーランに問題があることが分かりました。コーランはアラビア語表記のコーラン以外は聖典として認めていないのです。つまり、イスラム教はアラビア語圏からは発展の余地がないのです。ここら辺はキリスト教や仏教と大きく異なる点です。たとえば、新たな土地を王国が制服したとしても、現地にアラビア顔を普及させ、国民をイスラム教に改宗する必要があります。でないと支配者層だけに信仰される宗教として、地元民に反発される可能性が大きくあります。スペインのレコンキスタが成功した要因としてこの辺も関与していたのではないかと個人的には思っています。
これは世界宗教としてかなり致命的な欠点だと思っています。 キリスト教や、ユダヤ教の、旧約、新約聖書は多くの言語に翻訳されており、誤訳などはあるものもそれぞれの土地で聖典として使用されています。仏教なんかはさらにいい加減で、元になったサンスクリット語は日本の密教系にしか残されておりません。発音や抑揚などはちょっと怪しいです。
イスラム教に対して世界的な理解が深まらないのはこの辺が主要原因だと思っています。
さてここで、超個人的な意見を述べたいと思います。日本では戦国期にキリスト教が伝来したのにも関わらず、古代の仏教伝来のようなムーブメントを起こせませんでした。明治以降、信仰の自由が推奨されたにもかかわらず、現在でもキリスト教系全部合わせても人口の1%、ムスリムについては緒教の枠内に収まっていて、最大で70000人程度、人口比では0.5%くらいです。
どうしてこんなに日本では一神教系が不振なのかですが、日本人の一般常識から簡単に説明できます。現在日本では死ねば、仏(仏教系)神様(神道系)になって全知全能である仏や神様の仲間入りをできることが信じられています。 きつい言い方で申し訳ないのですが、イスラム教の開祖であるムハンマドでさえ、神様の預言者(御使い)であって神様そのものではないのです。
神道はどちらかといえば原始宗教(アミュニズム)の部分も多のでしょうがないところもあるのですが、 仏教は違います。ようつべなんかで海外のドキュメンタリーとか見てたりしているのですが、根本的なところで、一神教国との考え方の違いを見て取ることができます。
基本的に仏教は開祖の釈迦如来が示したとおり、現世のしがらみを逃れて、 悟りを開き、仏(全知全能の存在)になることが究極の目的とされます。問題があるとすれば開祖の釈迦如来が具体的な修行方法を示さなかったことです。一応、般若心経などでこういうことはしない方がいいよという事は示されているのですが、般若心経の神髄は”空”という概念で一般人には理解不能であったりします。
キリスト教でもイスラム教でも、いろいろな神との契約を守っていれば、天国に行けるという概念がありますが、仏教ではそのような概念はありません。どういうことが神(仏)の御心にそぐわないかという事がすごく分かりにくいことになっています。その世代にあった高僧でさえも生前に悟りを開けるのかは未知数なのであります。
イスラム教はちょっと厳しいですが、でもイスラムを守った偉人に対して聖人の位を与えたりしています。
そこのところでは仏教は厳しすぎます。悟りを開いて仏になったとみなされる人にしか、尊敬を与えないのです。自分の知っている限りでは、仏教界で有名なのは達磨大師ですかね。菩提達磨は西域南天竺国において国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶です。5世紀後半から6世紀前半の人で、道宣(達磨大師の弟子)の伝えるところによれば南北朝の宋の時代(遅くとも479年の斉の成立以前)に宋境南越にやって来たとされています。
伝説では悟りを得るために重要なのは座禅だと考え、手足が腐り落ちるまで座禅を組んで悟りをえたとか・・。それで、日本での縁起物としての達磨像には手足がありません。
その頃中国では仏教が栄えていて、梁の武帝が達磨大師のところを訪れて問答を交わしたところ、こんなやり取りがあったとか。
『帝は質問した。「朕は即位して以来、寺を造り、経を写し、僧を得度すること数え切れない。どんな功徳があるだろうか。」
師は言った。「どれも功徳はありません。」
帝は言った。「どうして功徳がないのか。」
師は言った。「これらはただ人間界・天界の小果であって、煩悩を増すだけの有漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」
帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」
答えた。「浄智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」
帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」
師は言った。「この世はがらんどうで、聖なるものなどありません。」
帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」
師は言った。「認識できません。」
帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。』 これほど仏教の神髄を理解していた人でも”如来”(仏)ではありません。”如来”の一歩手前の”菩薩”であります。
師は言った。「どれも功徳はありません。」
帝は言った。「どうして功徳がないのか。」
師は言った。「これらはただ人間界・天界の小果であって、煩悩を増すだけの有漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」
帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」
答えた。「浄智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」
帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」
師は言った。「この世はがらんどうで、聖なるものなどありません。」
帝は言った。「では朕と対座しているのは誰なのか。」
師は言った。「認識できません。」
帝はその意を理解できなかった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の19日にひそかに江北に帰った。』 これほど仏教の神髄を理解していた人でも”如来”(仏)ではありません。”如来”の一歩手前の”菩薩”であります。
日本に限って言えば、空海(弘法大師)かなあ。この人は日本屈指の天才で、若くして四国巡礼の修行で悟りを得て、さらに仏法(当時の最新科学)を学ぶべく、遣唐使に私費留学生として潜り込んで、なんと、当時の最先端であった密教をマスターして唐帝国の最高峰の僧であった恵果和尚からすべてを譲り受けることになりました。留学期間は20年もあったのですから、常人ならここで唐の高僧としての実績をつけて帰ってくるのが当たり前ですが、とりあえずすべて理解したらしく、たったの2年で帰国しました。 唐という大帝国の官僚や皇帝の相手をしていたおかげで、日本の朝廷や、最澄(伝教大師
)などの高僧の相手を軽くこなし、13年後(818年)には、当時ほぼ人跡未踏であった高野山を朝廷から譲り受け修行場としての寺を建立し始めました。ちょっとだけ欠点を上げるとすれば、空海の密教理論が完璧すぎた為、高野山金剛峰寺真言宗では後世に時代に即した新しい仏教思想が現れなかったという事くらいでしょうか。
日本の古代から創設された官寺には、空海が伝えた密教思想がかなり色濃く残っています。(代表として四天王寺を上げておきましょう。)さらに、現在では日本にしか残っていない密教理論では、大日如来が仏法の最高峰であり、釈迦如来は仏法界の一部分にすぎないというとんでもない世界観を作り上げました。
これだけ日本の仏教界に革命を起こした人物でも、一般的には大師なのです。真言宗内ではどういう扱いを受けているのかは不明ですが、如来どころか、菩薩の称号さえ得ておりません。もちろん、弘法大師が構築した密教理論の中に空海自身が入り込むのはダメだと弘法大師自身が判断した可能性はあります。
その後鎌倉期に勃興した仏法思想があります。これは世界的にみて、仏教の本質を無視した思想です。まずは浄土宗、浄土真宗です。法然、親鸞が起こした思想ですが、自力本願で仏になることは無理だと判断し、阿弥陀仏が約束した、自身の名前を唱えれば阿弥陀仏の浄土(天国)に死後、連れて行ってもらうという思想です。これは日本が荒れた室町~戦国期に大いに発展しました。その頃の人々は生きるために、仏法の戒律を破らなければならなかったからです。話はちょっとずれますが過去の一向宗の本場である真宗の仏壇はすごいです。フツーの家庭でも一間あるもんね。仏壇より床の間が狭いという家まであるくらいです。金もかかって500万くらいが最低だとか・・・。親鸞は上人です。
あとは、日蓮が起こした法華宗(日蓮宗)かな。法華経を神聖視し、南無妙法蓮華経と唱えることで、自身の仏性を高めるという、ちょっと安直な教義です。思いっきり他力本願な南無阿弥陀仏よりはちょっとましかもしれないです。日本最大の宗派ですが、この宗派にはちょっと厄介な点があります。 折伏を常道としている点です。これを大々的にやったのが創価学会で、あんまりひどすぎるという事で日蓮正宗から破門まで食らっています。
日本の宗教は比較的に寛容で、戦国期のイエスズ会のような強引な勧誘はやっていませんでした。それぞれが自家の立場を考えて、まあ、打算的な方策をとっていました。 ただ、日蓮宗は違います。教祖である日蓮は仏法が国中にいきわたる世の中を目指して、時の幕府と正面から渡り合ったのです。
そういうわけで、日蓮宗系は折伏を正義だと考えている節があります。まあ、細かく宗派が分かれているので、宗派によって濃淡はあると思います。これは日本人の宗教観に思いっきり違反するので、実は創価学会は相当嫌われております。創価学会に一矢報いようと思っている人も意外に多いので、公明党の人たちは注意してほしいと思います。一応日蓮も上人です。
そういうわけで、日蓮宗系は折伏を正義だと考えている節があります。まあ、細かく宗派が分かれているので、宗派によって濃淡はあると思います。これは日本人の宗教観に思いっきり違反するので、実は創価学会は相当嫌われております。創価学会に一矢報いようと思っている人も意外に多いので、公明党の人たちは注意してほしいと思います。一応日蓮も上人です。
ちょっと自分の会社内での話をしておきましょう。中小企業な上、近くに創価学会の支部もあるので創価学会の社員もそこそこいます。自分の家は神道なので彼らからしてみれば怨敵もいいとこなのですが、創価学会の人は周りから嫌われていることを自覚しているのか、優秀な社員が多いです。部下や上司、仕事で関係ある社員たちに相当気を使っています。社内でそういう行動をとっていれば自然に人望が集まるので出世している人もいます。えー、あんまりいいことではないのですが、若い人で、周りに気を使わないどうしようもない創価学会員に爆弾を落としてくれと頼まれたこともあったりします。 よっぽど先達の創価学会員に創価学会にふさわしくないと思われたのでしょうね・・・。
法華経については、今はちゃんとした訳文が出ています。内容は、悟りが開ければ、精神の自由闊達が訪れ、すごいことになるよーといったことが書かれています。どうやって、悟りを開くのかは書かれていません。悟りを開いたらすべてわかるよー。という感じです。どう考えてもひどい内容です。
こんだけきついと聖人なんか出てくるわけないよなー。大乗仏教主体の日本だけでなく、上座部仏教主体の東南アジア系だともっときついですかねー。”空”っていったい何なのか?ここら辺が理解できないと、悟りは開けないみたいです。
さて、話は変わりますが、キリスト教系でよく言われている最後の審判です。多少仏教に関心があれば何言ってんのこの人たちって感じですね。 経典では弥勒菩薩が釈迦牟尼仏の入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、すべての人々を救済するとされています。 えー、太陽は一般的な恒星なので、そのころになると。地球は太陽に飲み込まれてんだよね。間違いなく人類は滅亡してると思います。それでもすべての人の魂を救うと言ってるので、仏教の懐の深さを感じるところであります。最後の審判って何するんだ?異教徒も含め全部の魂を救うつもりの弥勒菩薩の方が全能の神よりどう考えても上だと思うけど。
じゃあ、それまで人々を救う存在はいないのか?仏教はそれについても解答を与えています。
はい、地蔵菩薩です。弥勒菩薩が、仏になる56億7千万年後まで地蔵菩薩は、人々を救う努力を怠らないそうです。もちろんそれまでの間、仏になる人も現れるかもしれないので、仏教徒としては、人類が滅亡するまで、魂の救済に関しては安心でありますね。
はい、地蔵菩薩です。弥勒菩薩が、仏になる56億7千万年後まで地蔵菩薩は、人々を救う努力を怠らないそうです。もちろんそれまでの間、仏になる人も現れるかもしれないので、仏教徒としては、人類が滅亡するまで、魂の救済に関しては安心でありますね。
0 件のコメント:
コメントを投稿