2017年5月17日水曜日

神宮宮域林

 先日、伊勢の郷土史家とお話する機会があり、神宮宮域林のかなりの部分が100年ほど前は禿山だったことを知りました。え~、神宮の森って数少ない照葉樹林の原生林だとばかり思っていました。
 神宮宮域林はかつて式年遷宮の御用材を出す宮域林でしたが、伐り尽くされた後は「お伊勢参り」の参拝客のために、薪炭林としてほとんどが禿げ山になったそうです。照葉樹林の原生林は宮域林の一部にすぎないようです。そのため江戸から大正時代にかけて、伊勢の町は洪水が頻繁に起きていました。
  
 大正七年(1908)の大水害をきっかけに、大正12年(1923)から将来の遷宮を見据えて、御造営用材の自給自足を目標として「神宮森林経営計画」が策定され、200年生の檜の育成に取り組み、90年が経過した今日でもその計画は続いています。神宮宮域林は、「第一宮域林」(1090ha)と「第二宮域林」(4332ha)の2つに分けられ、第一宮域林は、そのほとんどが人が手を入れることは許されない天然の森とし、一方、第二宮域林は、大正12年の計画のもとで植林された式年遷宮で使うためのヒノキ中心の森になっています。200年生の檜は遷宮の際に最も太い柱として使われます。

  第二宮域林は自然に生えた広葉樹を温存しながら、神宮の御造営の木材も自給できるよう、全面積の約半分はヒノキが植えられ、その施行はヒノキを早く太らせるために間伐を強度に行なうというもので、結果的に広葉樹との混交林になり、水源涵養機能もすばらしく、台風と同じクラスの集中豪雨にさえ、ビクともしない森になったそうです。

 
 1991年に、宮域林内に設置した建設省の自動雨量計が一日に486mmの雨量があったことを示したとき、内宮の参道までにも水が上がりませんでした。昔の禿山ならこの内宮周辺は一面水に浸かっていたそうです。80年程前の1918年には350mmの集中豪雨で床上浸水が1400棟ありました。

 2013年の式年遷宮の際は、間伐材を、遷宮のための用材として700数十年ぶりにこの森から切り出しました。その量は遷宮用材の20数%に達したそうです。

 神宮の森は「理想の人工林」なのだそうです。水源涵養機能を有する立派な森を作るには非常に長い年月が必要に思われますが、考えようによっては植林開始からたった60~70年間手を入れるだけでできてしまうのはちょっと驚きました。

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