2017年2月16日木曜日

平城宮跡

  また、昔のサイトのネタを引っ張り出して、記事を埋めるお時間がやってまいりました。

 今では、「古都奈良の文化財」として世界遺産にも登録され、せんとくんのおかげで少々知られるようになりましたが、サイトに紹介した当時はその筋の人以外あまり知られていない史跡でした。
 場所はここになります。奈良市は東をこの史跡に、西は奈良公園に挟まれて、発展の余地がありません。史跡発見後の道路はすべてこの史跡を避けて通っている為国道など渋滞の発生ポイントでもあります。今はgoogleのストリートビューも史跡内に入っているので、それで見る手もあります。遺跡内にある資料館の中もストリートビューで見ることが出来ます。どんだけ進んでんだよ。
 ここは、平城京の大内裏の跡で、7代74年間にわたる律令制最盛期の宮の跡になります。国内第一級の史跡の一つでもあります。
 
  この遺跡のすごさはまずその広さにあります。延暦寺、金剛峰寺、日光東照宮、伊勢神宮など古い大寺社は境内地は広いですが、建物の立っている場所はそう広くありません。遺構として広いのは、皇居(江戸城)2,300,000㎡(外郭除く)、大阪城公園1,055,643㎡(外郭除く)あたりでしょうか。仁徳天皇陵古墳は宮内庁の陵墓図での総面積で478,572㎡しかありません。平城宮跡は120ha=1,200,000㎡あります。比較対象として東京ディズニーランド465,000㎡+東京ディズニーシー712,200㎡=1,177,200㎡と同じくらいの広さがあります。
 順次計画的に発掘は進められていますが、ひととおり全部発掘を終えるまで100年くらいかかるそうです。なにしろ、ここは宮場跡ですから、どこを掘っても必ず当たりが出ます。しかも、宮であった期間の前後はずっと田畑でありましたので、京都のように長期間市街地である場所と違い、出土物の年代特定にそう悩むこともありません。考古学者にとっては夢のような場所だと思います。
  そして、この場所にはほとんど何も無いように見えます。平城宮跡資料館の他にも第一次大極殿などの再現建築がありますが、史跡が広すぎる上に、史跡の外周部分に集中して建てられており、中は原っぱだからです。下は2006年に第二大極殿跡から南を望んだ写真です。500m先くらいに近鉄奈良線があるはずなのですが全然見えません。その下は北側の内裏を望んだ写真です。
 そういうわけで、ここにある施設等を見て回る場合、外周に沿って1周歩くことになります。歩くだけで1時間強、資料館等で時間を取ると5時間ほどかかります。中にはレストランも、自動販売機もありません。食料、飲料は持参した方が良いと思います。ゴミ箱もありませんので、ゴミは持ち帰りましょう。下は第一次大極殿前から見た朱雀門(2006年)。 この何もない感がたまりません。
朱雀門、近づくとかなり大きいです。高さ20m、両脇の築地塀の高さだけで5mあります。
 この朱雀門は基壇跡と柱跡しか出ておりません。それでどうやってこれを復元したかというと、2006年当時の公式には 「復元にあたっては、現存する古代建築や文献資料を参考に各部の構造を決定しました。さらに構造強度をかせぐ為、奈良時代から今日まで建物が存在し続けたと仮定し、そこに加えられたであろう中世・近世に新しく開発された工法を出来るだけ取り入れました。また、建築基準法を通すために小屋組内と壁面の内側に金属補強を入れています。建設費は35億円です。」と出ておりました。つまりフルスクラッチビルドなのであります。他の建物も同様に復元されているようです。

 とにかく、1度行ってもらってそのだだ広さを味わってほしい史跡です。家族で行くときは、なにか遊び道具を持って行った方が良いかもです。電柱が無いので凧揚げはOKです。ゴルフはダメみたいですが。
 



 

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