自分は中学生から高校生にかけてボーイスカウトに所属していました。まあ、親の見栄で入らされたのですけど、意外に面白かったです。自分のいた時代は特に団員が少なくて、同年代の仲間がたったの4名でした。田舎の団だったので大雑把もいいとこです。後に聞いたところによると、アウトドアブームでその後かなり団員も増えたとのことでした。
ボーイスカウトは宗教を大事にしますので、その時の団長(隊長)はあるお寺の僧侶でした。でもその人は太平洋戦線で兵站を務めていたそうで、命令書や報告書などを運ぶため弾雨の中を車やバイク、自転車で走りまくっていたそうです。
自分たちに対する教育も結構ハードでした。ボーイスカウトの活動にあたっては色々なテーマがあるのですが、そんなのそっちのけで固定キャンプばっかりしてました。固定キャンプにに関することはここで教えてもらいました。ボーイスカウトのキャンプでは火器は使わず、基本的に焚火になります。
大事なことは3つだけ、テントを何とか立てて居場所を確保する、火を起こして食事を確保する 、水を確保する。初めの何回かは付きっきりでで教えてくれましたが、後は装備だけ近くに運んでくれて、「法事があるから、戻ってくるまでに何とかしといてくれ。」みたいな感じで放置でした。日が暮れるまでに数時間しかありません。4人で必死になってやってました。
どんな感じでいくかというと、とりあえずテントと竈が確保できそうな場所を探して、みんなで装備品を運びます。テントと竈の場所を決めて、まずテントを張ります。天気とか関係なくやるので、避難場所を最初に確保しなければなりません。10人用のごついAテントなので大変でした。
センターポールが立った時点で3手に分かれます。1人はテントの仕上げです。梁綱をある程度張って、側溝を掘ります。側溝が完成したら本体とフライシートの梁綱を本張りします。もう一人は竈の作成です。立ち竈なんて作っている余裕はないです。石を集めてきて平竈を作ります。空気が入るように、風で火が消えないように考えて石組みをします。そして、そこら辺の木を切ってきてポットハンガーを作ります。余裕があれば3本組、なければ1本で端を石で支えます。
それから水を汲みに行きます。20ℓポリタンク2本、40ℓは確保します。余裕があれば火起こしをしたり、調理準備にかかります。
あとの二人は何をするかというと、薪の確保です。山の中ではきちんと揃えられた薪なんかありません。地面に落ちているような枝は湿気ているので役に立ちません。立木の枯れ枝を狙っていきます。雨の中でも立木の枯れ枝は中まで濡れないので薪としてはなかなかいいのです。高いところはロープワークで折り取ります。低いところは鉈でカットしていきます。大体翌日の昼までの分を確保していくので結構手間がかかります。天候が悪いときは最悪です。余裕があれば3~5cmくらいの生木をカットしていきます。焚火の側で水分を飛ばせば火持ちの良い薪になります。
固定キャンプでのテントを張るポイントですが、できるだけ高くて平らな場所を探します。10Tは相当大きいので、灌木や下草などを刈り取ってテントサイトを作成するのが常でした。後は水の流れです。雨が降ると山側から水が流れてきます。ここで側溝をきちんとしておかないと悲惨なことになります。雨が降っているときの方が水の流れが分かるので意外にやりやすかったりします。渓流沿いや河原なんかは絶対張ってはいけない場所です。移動キャンプならある程度OKですが、固定キャンプでは水が集まってくる場所に張ると何もかも流されたちゃったりします。
次に竈です。なんか立ち竈を作るのがステータスみたいになってますが、自分たちのころはそんな時間の余裕はありませんでした。位置的にはテントサイトの少し下に作ります。テントサイトの上に作るとテントが燃えちゃったりします。当然水の流れも考えておいて、水が流れ込まないような場所、または側溝をきっちりしたり、土を盛り上げて 水が流れ込まないようにします。後は石組みをしてなんとなーく竈っぽくしておけばOKです。それから近くに水穴(ゴミ捨て穴)を深く掘れば完成です。風の流れは日によって変わるのであんまり考えなくてもいいと思います。
火の付け方ですが最近は簡単になりました。自分たちが活動している当時は100円のブタンガスライターがありませんでした。どうするかというとマッチ棒と赤燐の塗布面をろうそくの蝋で防水します。使うときは蝋を割って使います。全滅を避けるため小分けににしてビニール袋に入れてさらにプラタッパーに入れておきます。着火率はまあ悪いです。天候が悪いとさらに厳しくなります。灯油やガソリンを使うと楽なのですけど、子供には危険だということで団長(隊長)は絶対使わせてくれませんでした。
薪の組み方もそう難しいものではありません。中央に新聞紙を入れてその上に杉やヒノキの枯葉を置きます。そして小枝を傘状に組んでいきます。井桁組よりこちらの方が火付きは良いです。杉の枯葉は燃えやすいので、小枝に火が付くまで少しずつ追加していきます。ポイントとしては空気が通りにくくなるのでちょっとスカスカに組んだ方がいいと思います。あとは団扇なんかで空気を送りながら、太い枝を入れて(もちろん傘状に立てます。)火を大きくしていきます。火力調整はどうするのか?火を落としてしまったら再点火に苦労するので、ポットハンガーの高さで調節し、火の方は一定の状態を保つようにします。
雨天時はポットハンガーに傘を立てかけてその下で着火します。火の付き始めは風で消えることも多いのでみんなの傘を使って風よけにして着火したこともあります。それでも着火が難しいときはベースにプラスチックやビニールを使います。一回火が付くと雨の中でもなかなか消えないので助かります。ガソリンや灯油の様に高く炎が上がることもないですしね。そうやって太い枝に火が付くと少々の雨では消えません。山火事が雨が降っても消えないのはそーゆーことです。
火を消すときは土をかぶせて消します。そしてポットハンガーに傘などを括り付けて露の下りないようにします。そうしておけば次に使うときは土を取り除けるだけでかなり楽に使えます。撤収時の消火はゴミ穴に全部突っ込んで大量に水をかけて埋めればよいです。もちろんゴミは焼けるものはすべて焼却しておきます。
そうそう、忘れてました。トイレ穴はできるだけ最下流に深く掘りましょう。使用後は土をかけていくので固定キャンプでは案外大事です。
水の確保は意外に当たり外れが大きいです。水流が濁っていれば、清水が汲めるところまで川をさかのぼります。1回だけどうしようもなくて数km離れた農家に水をもらいに行ったことがあります。
米を炊くのに、自分たちはあまり使いませんでしたが、焚火なら飯盒炊爨が楽です。米の倍量の水を入れて焚火にかざすだけです。水は貴重なので米は当然洗いません。水蒸気が出てこなくなったら炊きあがりです。焦げたりとかしますが、芯飯ができないのがいいですね。さすが軍用品だけのことはあります。
ボーイスカウトでの思い出はいろいろありますが、他の団との合同キャンプ(
キャンポリー)では、いい思い出もあります。 ある夏休みに県内キャンポリーがありました。うちの地区では、もう、うちの団しか残っていなかったので、 団長は打ち合わせのために早めに出なければなりませんでした。自分たちも早めにキャンプ地に入りました。スキー場の一角に設けられたキャンプ場でした。
指定の区画に装備品と一緒に放り出されて、団長は打ち合わせに出かけました。地面が平らなのでテントを立てるのに考える必要がありません。この時はグランドシートを敷いて先に側溝を掘るという荒業をしました。20分後にはテントが張れました。なんかレンガ作りの竈とかあったので、竈を作る必要もありませんでしたが、使い勝手が悪そうだったので石を集めてきて平竈を作っておきました。
天気は非常に良く、雨の降る心配もなかったのですが、9時の天気図を書いて、残りの人は必殺技の杉の枯葉、枯れ枝を確保しに行きました。そうこうしているうちに他の地区の団もやってきました。なんか他の団は円陣を組んで、今回ののキャンポリーにおける抱負を一人一人述べたりしてます。テントの中に寝っ転がってそれを眺めているのも悪い気がしたので、班長がテントの張綱を直そうぜと言い出しました。もう教科書どおりに張綱を直しましたがこれも10分ほどで終わりました。
この後どうしようかと思っていたら、団長から、昼の弁当と、薪と、夕飯の材料を取りに来いとトランシーバーで連絡が入りました。はい、昼飯のために火を焚かなくてよくなりました。人数が少ないので何回にも分けて運びました。薪は通常の太さだったので鉈で一部を細かくしておきました。弁当のカスとかも使って2つの竈の試運転・・・特に問題なし。夕飯の材料はカレーだったので下ごしらえだけをしました。水は本部近くの蛇口をひねればOK。13時にはやることが無くなりました。
他の団はロープワークの練習とかやってるところもあります。そんなことしてないで早くテント立てろやとかも考えましたが、ボーイスカウトとしてはこっちの方がレベルが低いので何にも言えません。
ここで、副班長がいいことを思いつきました。クッソ暑いし、近くの川で泳ごうぜ!運がよかったら鮎とか捕まえられるかも!副班長はド田舎出身なので、川での泳ぎ方を知っています。危なそう所は教えてもらって、楽しみました。魚は捕まえられなかったけど、冷たい川で泳いで、岩の上で日光浴とか最高でした。
それで、川遊びを楽しんだ後、夕飯を作っていると、団長が血相を変えてやってきました。「お前らいったいどこに行ってたんや!」、「えー、暇だったので川で泳いでました。」なんか、本部ではうちの団の団員が行方不明になったということで、日が暮れる前に捜索隊を出すかとかいう大騒ぎになってたみたいです。団長は結局大笑いをしていましたが、まあ一応、礼儀をわきまえるのがボーイスカウトなので、みんなで本部に謝りに行きました。
もう一つ強烈に思い出に残っているのが、日本ジャンボリーです。これは日本中の代表団や外国の招待団で行う大規模な共同キャンプです。自分の参加したのは1978年8/4から、自衛隊の御殿場演習場で行われた第7回になります。
実はこの大会には1級スカウト以上でなければ参加できません。団長から「行きたいかー?」とか言われて「行きたいですー。」と答えたらどんなコネを使ったのか1級スカウト章を手に入れてくれました。自分のできるロープワークは本結びともやい結びとトートラインヒッチだけです。こんなんで、ええんやろか?
自分の団からは2人しか参加できませんでした。しかも、平団員2人です。 同県の他の団からの参加者と合同キャンプをはりました。はっきりいって、他の団のレベルが低すぎです。テント設営は2人でみんなを指揮する形になってしまいました。「お前らほんまに1級スカウトなんか?」と言いたかったです。
飯時にはいつものように火を起こしていると、すごいとか言われました。なんか意味が分からんとか思っていたら、他の団では省力化のためにカセットコンロを使っていました。爆発事故が多いから使用済みボンベには穴を開けておけよと忠告したら、他の団の隊長からお礼を言われました。おまえら、県代表なんじゃないのかよー。
まあ、補給品とか全部支給されるので、最初のうちは、全国から来ているいろんな団のテントサイトの見学とかをしてました。 それで、2~3日目に天気図書いたら台風が近づいてきています。さあ、どうしようか。
まず、テントサイトの補強です。火山灰土にペグを打っているだけなので、できるだけ大きな石を探してきて重要なポイントはそれに置き換えていきます。本当はテントをもっと高い草むらに移動したいのですが、区画が決まっているのでそれはできません。水の流れた後を見て、できるだけ側溝を補強しました。続いて薪を確保。支給された薪を細かく割ってビニール袋に入れ、テントの中に積み上げていきます。水は給水車から補給されるので、事前に満タンにしておきます。その後、会場内を歩き回って、点火用のプラスチック片を漁っていきます。
よーし何とか準備できたぞとか思ってたら、風雨が強くなってきて他の団は、次々と避難していきました。一緒に来るかと言われましたが、まだいけるような感じだったし、命令系統が違うので、断りました。
それで、自分らだけになってしまったので、もう好きなようにすることにしました。強風で屋外での着火が無理だったので、他の団のテントのグランドシートを取っ払って、竈を作成しました。天幕自体は帆布地なのでそこそこ熱に耐えるんじゃないかなーと思ったのです。それでも全体が湿っているので着火には苦労しました。非常用の携帯燃料まで使用しました。
そこで、団長がやってきました。「お前ら、何やってんねん?」、「えっ、火が付いたからこれから飯です。」、「あのな、全団に避難勧告出たんですぐ避難するぞ!この辺で残ってるのお前らだけやぞ!」 ウソー!、これからが勝負やん・・・。とにかく竈に水をぶっかけて、個人装備をまとめてジープに放り込まれて撤収しました。どこかの体育館に避難しました。最後の方だったので場所がないです。乾パンとか配られましたが、もうちょっといけたのになんでやねんとか、一緒に行った団員とブツクサ文句を垂れていました。
翌朝、天候が回復したので、テントサイトに復帰しましたが、テントは補強を入れてあるので問題なし、周りを見回したところ、ちゃんと朝飯作ってるのは自分らだけでした。なんでやねん?日本のトップレベルの団員が集まってるんじゃないのか。撤収時にペグの数を数えるとか全然できてないじゃん。テントはちゃんとたたみ方ってあるんだよ、丸めんな!
後で聞いた話ですが、お宅の団員はすごいと、 団長は褒められたそうです。まあ、こっちもまがい物の1級スカウトなので舐められたらいかんと緊張していたので、子供ながらにうれしかったです。団長にはキャンプ中に喘息の発作を起こして1晩中看病してもらったりとか、団員を大事にしてくれていたので、ちょっとした恩返しになりました。
その後、団長は半ば引退して、その息子さんが隊長を引き受けました。スカウト活動も長く、県内でも上から数えた方が早いくらいの階級の人でした。団長と違って優しい人でした。なんか技能記章とがいっぱい持ってて、キャンポリーに行くとき、これ付けてると箔が付くから付けていくかと言われましたが遠慮しました。他の団に教えてやってくれとか頼まれたらどうすんねん!まあ、代が変わってもうちの団のハードさは相変わらずでした。人数も4人から増えないし・・・。
この頃のことで一番覚えているのは、スキーに行った時のことです。丁度ドカ雪が降った後で、いい新雪が積もったからスキーに行かへんかと誘われました。スキーは初めてだけどもいけるかなと尋ねたら、教えたるから大丈夫とのこと。2つ返事で承知しました。板とかは持ってないけど、レンタルとかあるし、いけるんじゃないかと、住宅地に住んでいる団員と話をしました。一応、お遊びでミニスキーとそりを用意することにしました。
本部のお寺を出発してしばらく走ってると、なんか、県内でも有名なスキー場とは違う方向に走っていきます。そして、農道の途中で車を止めると、ここでちょっと足慣らしをするかと言い出しました。「はぁ?」
隊長と班長と副班長はスキー板を出してはめていきます。「自分たちも、そのミニスキーでええやん、ここやったら斜度も緩いし楽しめるで。」無理!無理でした。40cmくらいは新雪なのでミニスキーは埋まってしまって何の役にも立ちません。しょうがないのでスノーボート(橇)を出してきて滑りました。
副班長になんで自分らはスキー持ってないのかと言われましたが、雪国とはいえは持ってない人の方が多いと思います。うちの団は本部が超田舎なので、子供たちは滑れるかどうかは別にして、フツーにスキーを持っているそうです。 今から考えるとシール付きの山スキーです。
そんなんではミニスキーしか持ってない自分たちが楽しめないだろうと、隊長は林道に入っていって車で道を踏み固めてくれました。でも状況はあんまり変わりませんでした。当時の子供用ミニスキーには、エッジが無いので直滑降しかできません。カーブに差し掛かると谷に向かってダイブするしかないのです。結局スノーボート(橇)で谷に向ってダイブするという遊び方をしました。
昼飯時になって、どうするのかと思っていたら、隊長からは「今日はスキーがメインやし、インスタントの飯でええやろ。」と優しいことを言ってくれました。そして車からカップヌードルとか粉末スープとかを出してきてくれて「お湯沸かすだけやから楽やで。」とのこと。えー、そのお湯のことを心配してるんだけど・・・。
「班長と副班長はスキー履いてるから、薪を集めてきてくれ。残った者で竈を作っておくから。」・・えっ、やっぱり焚火なの・・・・。積雪は1mくらいあるんですけど・・・。
一応その時に教えてもらったポイントを書いておきます。雪上で火を焚くアイテムがない場合は、まず地面まで雪を掘って、竈のベースを作ります。アスファルトの上はNG・・・アスファルトが溶けたり燃えたりします。草むらもダメです。草に火が付いたら雪の中でも山火事になることがあるそうです。一番楽なのが林道の平らな砂利の上だそうです。
雪かきはさんざん家とか学校でやらされていたので、すぐに場所の確保はできました。ポットハンガーも近くにあった枝を切ってきましたが、石を何処から取ってきたらいいのか悩んでいると、さすがに見かねたのか、隊長が渓流に降りて行って集めてきてくれました。「冷えるから、こういう時は座る石も取ってこなあかんで。」とのこと。了解であります。
「じゃあ、水汲んで来い。」と20ℓポリタンクを渡されました。雪は案外汚いから、渓流で汲む方がいいそうです。自分らが遊んでいたところは汚れているからその上まで登って汲んで来いとのこと。まあ、うちの団ではフツーですが今から考えると厳しすぎるよなー。谷筋は胸近くまで吹き溜まりがあるもん。
お湯を沸かす竈の準備はできましたが、薪組がなかなか帰ってきません。「あいつら、雪崩にでもあったのか?」と隊長が心配していると、死ぬほど薪を背負って降りてきました。班長曰く「いやあ、雪で湿ってるかもしれへんから、できるだけいいのをたくさん集めてきてん。」はい、極上の薪で雪もほとんどついていません。「谷筋全部さかのぼって、〇〇山が見えるとこまで、行った。」と副班長が言ってました。そこって夏に登っても40分以上かかるとこじゃないですか。
班長が「いやー、ようここまで雪掻いたなー。夏の竈よりええんちゃうん。」と褒めてくれましたが、いやいやお互いさまです。そっちも尋常じゃないです。
火をつけるときに、隊長が「マッチやったら大変やろうから、これでいこう。」とオイルライター(多分ZIPPOだったと思います。)で火を付けてくれました。優しいです。前の団長だったら、燐寸が尽きるまで絶対に出してくれないです。「これ、意外に便利やから、1つ持っておいた方がいいよ。」と言われましたが、こんな田舎で子供がライターとか買ったら、店から学校に連絡がいって即補導されます。それより、その頃は個人用の鉈が欲しかったです。キャンプの準備で鉈を研ぐの大変やもん。
雪の中での焚火は最高でした。濡れた装備が見る見るうちに乾いていって、インスタントスープをすすりながら話も弾みます。他の団とかで、はやっているから、夏はバーベキューもしてみるかとか言う話も出ました。△△川の古戦場跡が広いし近いからそこでやるかとう話も出ました。不謹慎もいいとこです、戦国時代の激戦区で近くに首塚とかあったりします。
みんな温まってくると、隊長らの山スキー組はもうひと滑りしてくると出ていきました。ミニスキー組はもう焚火の番をすることにしました。なにしろ、上質の薪が大量にあるのです。しんと静まった雪の中での焚火は極上でした。
今じゃあなかなかこんな体験はできないです。感性の豊かな頃にいろんな体験をさせてくれた、団長や隊長、仲間たちに感謝しています。