2016年12月27日火曜日

百済王の子孫①

 音楽の話もなくなってまいりました。単発ならまだありますけど、そんなの書く方も読む方もだるいし。まだ、ブログ始めて3ヵ月なのにもうネタが尽きてくるとは、週休2日にしても無理でしたね。何でこんなことになったんだろう、ストレイ・キャッツあたりからおかしくなりましたか。

 歴史タグ作ってしまいました。下調べが大変なので1行書くのに1時間以上かかったりします。過去サイトのネタも後で掘り返しておきましょうかね。3日分くらいはあるような気がします。中身はヨタ話なので、まともに信じないようにしてね。おかしいところがあったらコメントで叩いてください。

 まず、朝鮮半島の三国時代の話からです。高句麗、百済、新羅ですね。高句麗は大陸北方系の人たちが漢文化の影響を受けて成立した国だとされています。3国の中では1番力があり5世紀ごろには朝鮮北部を支配しました。下の地図は好太王時代(4~5世紀初)のものです。韓国の本からの引用らしいですけど、高句麗が三国時代を通して力があったのは事実みたいです。


 次に百済ですが、呉、越人が建てた国だそうです。それから新羅が朝鮮の地元の国みたいです。新羅の読みですが「しらぎ」は蔑称になるため「しんら」とよむのが正式みたいです。滋賀県にある新羅神社の読みは「しんら」です。

 厄介なのが伽耶と任那です。どうやら小国の集まりらしく、任那はそのうち日本の支配下にあった国のようです。どうも、日本のクニと同じような有力豪族の集まりのようなものみたいです。ここでは「倭」の呼称は控えておきます。「倭」は漢民族から見て国家の呈をなしていない東の国すべてを指しているので、話がちょっとややこしくなるからです。日本は遺跡等から既に大和王権が成立していたようなのでもう日本と表記します。もちろん、まだ仏教伝来以前で、律令もないので、漢民族の王朝から見たら国家の呈は成しておりません。 

 んで、この5国の関係はどうかというと、100%敵対していたのは高句麗/新羅です。後はその時の情勢に応じて敵になったり、味方になったりしています。大雑把には百済/高句麗は割合友好的で、百済/日本は百済が臣従の形をとっています。日本の皇子が百済王になった例もあり、百済王朝と天皇家は縁戚関係にありました。では、百済は日本の配下だったのかと言えば、答えはNOで、当時の日本の内情を見て分かる通り、情勢によっては日本とも敵対し戦をします。おそらく、国内も一枚岩ではなく、結構内戦があったのではないかと思われます。

 6世紀から7世紀にかけて日本は内戦の果てに仏教を取り入れ東アジア風の中央集権国家へとなっていきます。おそらく、朝鮮半島の国々の方が先に変化していったと思われます。その後、高句麗が百済と手を組んで新羅を追い詰めるようになります。伽耶、日本はその流れに乗じます。

 ところが、7世紀の初頭に大陸で唐という大帝国が勃興します。高句麗、百済は唐から強い圧力を受けるようになりました。 ここで新羅は起死回生の一手に出ます。唐の属国になることを条件に唐と手を結ぶのです。拡張期の唐の勢いはすさまじく、百済は660年に滅ぼされます。日本と百済の同盟軍は663年に白村江の戦いでボロ負けし、高句麗は668年に滅ぼされます。

 新羅は百済、伽耶、高句麗の旧領を得ます。そして、当初の約束を守り、徹底的に国内を唐化し、唐の属国となります。えらいですね。今のKの国の人とは大違いです。 適当な地図が無かったので、7世紀後半の地図をのせておきます。渤海は高句麗の末裔又は高句麗支配下氏族がたてた国であるそうです。朝鮮半島の王朝はその後もこの路線を堅持し李氏朝鮮にまで引き継がれます。
 あっ、竹島/独島が新羅領になってますね。于山国は鬱陵島のことです。本来の竹島の位置は赤マークのところです。東海とか書いてるし。ちょっとセコすぎるんじゃないでしょうかね。ちゃんと位置も把握できていない島を領土とか言っても話になりませんよ。
  朝鮮半島にいた、百済、高句麗の遺民、王族、新羅の新政策に弾かれた新羅の民は日本に逃げ込みました。日本は唐の侵攻に備え臨戦態勢を取ります。(上は水城跡。)リーダーシップが取れないと判断された天智天皇は暗殺され、その後律令制を取り入れた強力な中央集権の軍事国家としての道を進みます。

 そして、百済の亡命王族は、もともと縁戚関係のあった天皇家と一つになります。つまり、今の天皇家は天照大御神の末裔であるとともに百済王家の末裔でもあるのです。天皇家と古代朝鮮系王朝に関係があることは今上陛下もお認めになっています。今上陛下は大日本帝国天皇と百済王の称号をお持ちであると考えても差し支えないと思っています。イングランド国王がスコットランド国王の称号をお持ちであるのと一緒ですね。
 ここで、現在の朝鮮半島を考えてみましょう。朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国があります。そして、皇帝(エンペラー)が約二人、王(キング)が一人います。皇帝の一人目は今上陛下です。大日本帝国天皇と百済王の称号をお持ちです。王は朝鮮民主主義人民共和国の金正恩元帥であります。北朝鮮はどう見ても近代国家の皮をかぶった封建国家にしか見えません。金正恩元帥は実質”王”であると私は考えております。金正恩元帥は領導者という称号をお持ちです。

 

 では、もう一人の皇帝はというと、大韓帝国皇帝と朝鮮国王の称号をお持ちの李氏のご子孫です。直系の李玖殿下は2005年に亡くなり、李源殿下が正式に養子となり後を継ぎました。ところが、李源殿下の叔母の李海ウォン()殿下が30代目の継承を主張されて、今跡目争いの最中であります。普通に考えたら李源殿下は、養子とはいえ大韓帝国初代皇帝である高宗の曾孫だし、こちらのほうが正当性があるように思いますがねえ。(王家としてまだ大韓民国に認められておられないので失礼ながら敬称を殿下にさせていただきました。)

  なんか、閔妃暗殺と日韓併合で李氏朝鮮が滅んだので、日本が李氏を滅亡させたみたいになってるけど、日本はちゃんと李氏の子孫を皇族として待遇しているんだよね。本当に地位剥奪をしたのは、終戦時の連合軍です。

 それで、李氏の朝鮮国王の地位を復帰させるのは、大韓民国の国民と政府の権利であると思います。日本は関係ありません。タイの国王は第二次世界大戦後に、それで復権を果たしておられます。北朝鮮の新王朝に遠慮する必要はないと思います。 李源殿下は今アパート住まいだそうです。ちょっとは何とかしてやれよと思います。
 

 


 

 


 


 

 

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